【№1861】
そもそもIPOって、いつからあるのですか?
日本に株式市場が誕生した時からじゃ!!
IPO第1号っていつ?
IPOの上場承認がなく、ネタも尽きて当ブログも開店休業状態です。ネタを考えていたら、ふと「IPOの第1号って?」 。IPOブロガーをやっていますが、IPOの歴史・日本の株式市場の歴史などは、ほとんど知りません。
調べてみたところ、IPOの第1号銘柄は「東京株式取引所」で、通称は「東株(とうかぶ)」。何の会社かといえば、東京証券取引所の前身。上場日は、1878(明治11)年7月15日。約144年6ヶ月前のことです。
IPOの第1号銘柄は、なぜ「東京証券取引所」? ・・・ と素朴な疑問が湧きましたが、市場(取引所)がなければIPO(新規上場)もないのですから『なるほど!!』です。(^^)
上場こそ1878年7月15日ですが、東京株式取引所は同年6月1日に営業を開始しました。株式取引所という名称ですが、開業当時に取引された証券は「株式」ではなく「債券」であり、事実上は「公債売買所」。
取引された債券は3種類。
①江戸幕府時代の各藩の負債を明治政府が引き受けあらためて無利息で発行した公債の「旧公債」
②明治期以降の同公債である「新公債」
③秩禄(ちつろく)を奉還した士族に交付された公債の「秩禄公債」
③の「秩禄」とは、官等により支給する「俸禄(ほうろく)」このとで、大名に仕えた者が受けた給与のこと。俸禄のことを「扶持(ふち)」とも言いますが、扶持とは扶持米(ふちまい)の略で武士に米で与えた給与のこと。
奉行所同心の貧乏御家人といえば、『必殺仕事人』の中村主水さん。その給与は「30俵2人扶持」とよく聞きます。そうです、この「扶持」なのです。定番の「30俵2人扶持」は、米換算で40俵、金額換算で14両になるようで、 江戸時代の庶民の家庭ならば十両あれば一年間を十分に暮らしていける時代だけに意外と多い金額と感じます。
以上から考えると、中村家は贅沢な生活をしていたことになります。婿養子の中村主水さんはつつましい生活のようでしたので、贅沢三昧していたのは嫁・姑だったことになりますね。f(^^;)
前述の取引された債券のうち「秩禄公債」がわかりにくいのですが、これは明治になって士農工商制度が崩れ、失業した武士に対して新政府から支給された「退職金」みたいなものです。失業した武士に対して、秩禄公債に付いている利息を定期的に受け取ることで生活の支えにして欲しいという意図があったそうですが、実際のところはその程度の利息では生活にはとても足りず、秩禄公債そのものを売却して換金したいという要望が強かったとのこと。
新政府としては失業武士の不満解消のためにも、秩禄公債の換金場所となる証券市場の創設を急いだという事情もあったみたいです。なるほど!! それで東京株式取引所の営業開始は、明治11年ということですか!!
IPO第1号の初値は?
「東京株式取引所」の上場は7月15日だったのですが、初値が付いたのは9月。現在の東証は周5日の営業ですが、当時は月2回とのこと。
初値は、100円券に対して136円で寄り付いたそうです。
時代の貨幣価値は異なりますが、比較するための指標はいろいろとあります。参考までに日本銀行調査統計局が発表している「企業物価指数(戦前基準指数)」で計算すると、1901年(明治34年)の企業物価指数は0.469、2019年(令和元年)は698.8なので、約1,490倍。つまり、初値136円は、現在に置き換えると202,640円。
比較するのもなんですが、日本の株式市場におけるIPO第1号の初値は、「202,640円 」だった!! ・・・ ということのようです。
ちなみに、指標(物差し)を変えれば初値も変わります。
当時の給与をベースにすると、1円は2万円になるので、初値は「272万円」。最近は物価が高騰していますが、値上がり前の白米をベースにすると4,760倍になり、初値は「677,360円」になります。
IPOがない。さて、どうしようか? ・・・ でしたが、日本の株式市場におけるIPO第1号を調べたら、意外と記事になった次第です。f(^^;)
では、また(^^)/
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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